kokoro-zの日記

心のうちを曝け出す。

【書評】神・文章術 フミコフミオ

神・文章術 フミコフミオ

 

読回数

2回

 

要約

①書くことで、すべて(悩みの消失・日々の充実・良好な人間関係・未来への希望etc.)がうまくいくようになる。

②紙に思うがまま書いたあと残さず捨てる行為「書き捨て」が、他の評価を介在しない自由を生み、自分だけの世界観を構築する。

③書き捨ては手書きで、技術より初期衝動にまかせ、自由に書いていく。

④「自分で決める」ことが自分の人生を生きるということであり、書くことで土台をつくれるようになる

⑤個性は、みずから見つけにいく意識のもと書き続けることで出現する。

⑥相手を単純化せず尊重しながら言葉に代えていくこと、ネガティブを分解してポジティブ要素を見つけていくこと。

⑦自分を物語るために、「文章の素材を集める意識」で様々なものごとを受け入れ、吸収していく。

⑧学んだことを実際に使い、自分仕様にカスタマイズすることが大事

⑨尊敬する著者を真似ることなく、他の人の文才・文章力にとらわれずに好きなように書ききる。

⑩書くときは孤独になって究極の自己満足を目指し、シェアするとしたら最後である。

 

所感

タイトルと内容が一致していない。本書は文章術ではなく、文章論が述べられている。よってハウツー本の類ではなく、自己啓発本と捉えるべきだろう。タイトルも「神・文章術」から「神・文章道」に変更すれば、読者に語弊を与えずに済む。つまりフミコフミオ氏の文章道として読み進めれば、心を打たれること請け合いだ。書く行為において「周りの評価を気にしない」というのは難しい話であるが、「書き捨て」というありがちな方法を実践するだけで可能になる。それどころか、人生そのものが好転していくという主旨ですすめられる。著者が20年にわたり実践してきただけあって、語り調に説得力がある。ただ章をまたいで「書き捨て」に帰着させる部分は若干くどい。もはや文章術(論)ではなく、仕事論だろうと突っ込みたくなるような内容もみられた。以上のマイナス部分は、フミコフミオ氏の構成力の問題ではなく、ページ数を稼ぎたい編集者の意向にあるような気がしてならない。巻末の小説はフミオフミオワールド全開の文章だったことから、よけいに後半、冗長化してしまったことが惜しい。いずれにせよ、伝説的ブロガーの手法を知れただけ儲けものであることは間違いない。さっそく「書き捨て」を今から実践してみよう。

 

質問

①小説章に「ネタ探しに走るな」とある一方で、3章の「文章の素材を集めたい」と意識を持つようになってから、自分の前にある物事すべてから吸収できるようになった、とあります。両者には矛盾があると捉えてしまいましたが、意図を教えていただきたいです。ネタ探しを優先する姿勢は、日常の一部分しか切り取れず本質を見落とす場合があるが、日常を受け入れて目の前のことを吸収しようという素直な姿勢でいれば、ネタ(素材)は自然に集まるものだということでしょうか。

②ただ漠然と書き捨てをしても効果はないとありましたが、具体的に何を書いていくかは自由ということなので、結局は漠然と書き捨てすることになるような気がするのですがいかがでしょうか。書き捨てだと自由に書きたいことが書けて頭と心の整理になって、自身の世界観が構築されていく(etc.本書の取り組み方)という前提知識を得て、自由に書き捨てを行なうことで、そのとおりの効果になりやすいということでしょうか。

③実際、媒体に発信するときは、どんなときも周りを気にせず自由にとはいかないのが現実だと思います。なぜなら現実にあったことを書く場合は登場する人物を傷つけないような配慮がいるから。あるいは、いずれにせよ多方面に完璧に配慮することなど不可能なのだから、傷つける覚悟を持つ必要もあるのでは。そのあたり、一切述べられていないことに違和感を覚えました。フミコフミオ氏のスタイルこそ現実(サラリーマン生活)とリンクさせた内容であり、真っ先に憂慮しなけらばならない問題だと思うのですが、普段どのようにネタを取捨選択し、発信されているのでしょうか。