kokoro-zの日記

心のうちを曝け出す。

履歴書は郵送完了した

また一つ前へ進めています。履歴書を無事送りました。あとは結果を待つのみです。さて、今日も5時起きは達成できず、7時前まで2度寝してしまいました。挙句、ルーティーン完了後の8時~11時まで爆睡するという始末(3日連続)。なかなか一度狂った生活習慣を戻すのには苦労します。そもそも生活習慣が狂った要因はやはりストレス。フルで一日入った仕事後、明らかに習慣が狂っていくのが手帳を見返すとわかります。そこからいきなり1時間早く起きる変更をしようというのだから、それは大変。とはいえど、そうしたほうが良いメリットも大きいのです。この猛暑、朝早くに清掃バイトを終わらせたほうが確実にメリハリが出る。なんとか明日から5時起き早朝そうじを実践したいです。読書のほうは、ポジティブ心理学に関する本を読み進めています。しっかりとしたエビデンスが存在する分、幾分かは腹落ちして読み進めることができています。この調子で日ごろの習慣に取り入れれる部分は取り入れていきたい。なんにせよ、スモールステップとメタ認知がカギ、だ。今日もありがとう。

求人に応募したぞ

今日は前から目途をつけていた求人に応募しました。偉大な一歩を踏み出した。のだけれどなんだか気分が優れない。心身の疲れが取れない感じ。なかなか順風満帆な気持ちで新しい一歩を踏み出すのは難しいな。履歴書を書いて、明日郵送します。なんとか、なんとか、なんとか。前進に違いはない。そういえば報酬を他人とのコミュニケーションに依存しないようにすすめています。いまのところは、音楽を休憩中に聴いて気分を和らげているところです。なんとか先に、進みたい。進めるさ。進めるんだ。進もう。今日もありがとう。

配信視聴とTwitter観覧をやめる

題名のとおり、SNS断ちをします。初めてというわけではなく、何度も繰り返した結果やめたほうがいいという結論に達しました。もちろんメリットも大きかったです。孤独の辛さを和らげてくれる最大のツールと言っても過言ではなかった。しかし、やはり振り回されてしまうのですよ。twitterはもはや地上波TVやネット検索よりも速くトレンドをつかめてしまいますし、不特定多数の、リアルでは絶対に関わることのできない有名人とすらやり取りできる可能性があります。まさに夢のようなツール。しかし反面、自分の必要のない、ネガティブな情報が否応なしにタイムライン上に表示されるデメリットが大きすぎる。そして発信しようものなら、つねに炎上のリスクがつきまとう。必要な情報を、無駄にドーパミンを放出させることなく得るにはやはり新聞が最良なのです。地上派TVはその補完として役に立つでしょう。SNSこそ情報の根幹にしたほうが良いという意見もごもっとも。しかしそれはメンタルが安定し、目に入った情報を無意識に取捨選択できる人に限られるでしょう。ホットな話題についていけなくなる不安感のようなものは少しありますが、別に知らないなら知らないで何も不自由ないのです実際。次に、配信について。私は長年ニコニコ生放送という日本における配信市場のパイオニア的サービスを視聴していました。なんとも社会不適合者たちの集いがよろしく楽しくやっていて、観ていると心の底から安堵を覚えるのです。それはそれは中毒性のあるもので、アルコールと同じくらい依存性もあるでしょう。かといって害はない…と思っていた自分がいました。つい先日まで。しかし残念なことに、ニコ生配信者は過半数が無職とあって(推測です)、配信する時間が安定しない。深夜に配信してみたり、とたんにやめてみたり、と思いきや復活したりと。ここでも振り回されてしまうのですよ。いや、楽しいのですよ。楽しいけれど。破綻した生活者を追っていたら自分までそのレベルに落ちてしまうということはままあることだと思うのです(ニコ生配信者の生活が破綻しているとは言っていません)。ということで、名残惜しさは消えないまま、ログアウトしました。はい、もちろん退会などしません。でも当分観ることはないでしょう。またログインするときは、配信者として、なのかもしれません。今日もありがとう。

今日はすこぶる心身の調子が悪かった

今日はほとんど頭が回らず、ルーティーンすらこなせないものがありました。とにかく思考が回らず気分が落ち込む。地に伏していたいが、寝すぎても変な夢を見て絶望感に駆られるという状態でした。なんとかやるべきことはやりたいと、家計簿アプリを導入しました。最近のアプリは優秀なもので、なんとクレジットや電子マネー、預金通帳と動期できる優れもの。便利すぎて驚き桃の木、山椒の木、というやつである。しかしこれまた連携同期させることが面倒ゆえだらだらと苦しみながら取り組みました。なんとか完了し、これからはお金の状態が完全見える化しました。不安の元である金銭状況を正確に把握して、現実に立ち向かっていこうという着想です。とはいっても、ほとんど一日の支出が現在はないので、さらに減らしつつ、確実に毎月支出が伴うものに関しては先に計算して出しておこうと思います。いいねいいねェ。にしても今日はだるかった‥やはり一日仕事の反動がきていますな。疲れやすい繊細な身体なのだなぁ。今日もありがとう。

エゴをかなえるのが文章だ

エゴが叶う場所。諦めたくない背中があるから生きていける。何歳になっても前を観続けて生きて、死にたい。そんな言葉に何も迫らない生き方は嫌だ。何をいきなり言い出すんだ自分は。それでも音楽を聴いていると、まだ自分は出来るという気持ちが湧き上がってくるのだ。まだ始まってすらいない。終わるまで走り続けたい。最後は、息絶えるんだから。息続くかぎり、自分と向き合っていたい。そうだろう。違うかね。何を誰に聴いているんだ。もう大丈夫だろう。自分の中に毒を持って前へすすめ。今日もありがとう。(今日は昨日の疲れが出て午前中のルーティーンをすますとさっさと二度寝した。午後からもダラダラと寝そべりながら過ごしていた。今は元気だ。)

今日は相当頑張った自分を褒め称えたい。

今日はフルで仕事をした。仕事の強度は置いておいて、完了出来たことが嬉しい。以前よりも確実にメンタルが安定していることを実感できた。これは日々のルーティーンのおかげなのだろうか。個々の力は弱くとも、継続の強さと複数による結集でメンタルの受け皿ができたということだろうか。夜しっかり寝て起きる時間を固定、朝起きて瞑想、新聞コラム写経、朝の散歩に匹敵する運動。心身の健康に良いよと言われることは大体網羅して継続している。これはすごいことなのではないだろうか。もっと自分をほめてもいいのかもしれない。ただ理不尽への耐性は相変わらず低いままだ。今日も些細な理不尽に対して、割と瞬時にイライラしてしまった。瞬時というのは、実は前よりいいのかもしれない。前はかなり時間差があったように思う。イライラしている自分に気付けているというのは大きい。すべての慣れの基本はスモールステップであると最近になってようやく悟り始めた。理不尽に関する耐性も、おそらくスモールステップで乗り越えられる部分は今自分が思う以上に大きいような気がする。ただ、理不尽とは外部からの刺激であり、なかなかスモールから受けることが難しいということである。どんなに優しい環境を選んでも、突如外から剛速球で飛んでくるものである。そこに人間がいる以上、顧客だろうがなんだろうが起こりうる。多くの傷つきやすい人たち(僕もそう)はその事実を前に呆然と立ちつくしてしまうのだ。引きこもりは、スモールステップが許されない現実に対する諦め状態ともいえる。こんなことを書いていると、甘えるな、だから人生なんだ、覚悟をもって荒野に駆り出せ、とか叱咤激励が飛んできそうだ。理不尽におびえる繊細な人たち(これも僕)はその善意なる応援は、慮りのない押し付けにしか受け取れない。感覚の差異を理解しようとせず自分の考えを押し付けてオナニーする人達に対して、いつしか憎しみすら抱くようになるだろう。いったいどうすれば…わからないが、今日は乗り越えられたので私は気分が良い。ただ歩きはじめた先にルーレットのような運で致命傷を裂け、結果的に自信がついていくものなのかもしれない。乗り越えて気分が高揚すると、つい意志が大事などと呆けたくなる。運などという言葉を出すくらいなら意志をもって飛び込めや。そう豪語したくなる。しかし、そんな上澄みだけの言葉は、自己啓発本からだけで十分だろう。ともしびの意志のもと、どこともわからない森に放り込まれるサバイバル。いつしか乗り切れるかもしれない。また致命傷を負うかもしれない。そんなギリギリの世界で僕らは生きている。今日もありがとう。

あれこれとしながら生きていこう

やっぱり非公開にしようかしらというか、はてなブログじゃなく手書きにしたいなという感情が毎日湧いてくる。のだけれど本当にタイピングが楽すぎてやはり、やはりはてなブログに書くことにしている今。なにせ2分ほどで2,300文字書けるのはPCがない時代からしたら魔法そのもの。いいわいいわほんとうにいいわ。さて、きのうから継続している、部屋に入ったならば英語本を開く(15分まで)というルーティーン、今も続いています。ちょっと計測しきれていないところはあるのだけれど、スケジュール帳を見直すと4回は15分トライできている。そして間違って部屋から出たときも、入ったならば必ずチラ見するルールは守れているのです。つまり、1時間は英語に取り組めていることになる。これはすごいことです。なにせ疲労感がほとんどないというのがすごい。このまま1ヵ月続けれたら占めたもの。明日はちょっと違う仕事があるので準備してゆっくりしたいと思います。小説を書かないで死ねるか。今日もありがとう。